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2011年12月31日

幻の紅白歌合戦

今日も元気なみっちぃです。


久しぶりの日記です。大晦日だけあって、街はせわしなく動いていますね。私も自転車であちらこちらで用事を済ませて来ました。


さて、今年も『第62回紅白歌合戦』の時間が迫ってきていますね。皆さんはどの歌手を応援しますか?


第1回目は、昭和26年1月3日午後7時半から、当時はラジオ放送で、7対7の歌手の配置で始まりました。


それ以前に、たった1回だけ、紅白歌合戦が放送されたのはご存知でしょうか…

時は終戦の年、昭和20年12月31日午後10時半から午前0時まで放送されました。


当時NHKのプロデューサーが、剣道の紅白試合をヒントに、男女別に分けたのが始まりだそうです。


しかし、終戦から三ヶ月半、ヒット曲もほとんど生まれておらず、スター歌手も、国内に残っていた人も少なく(終戦時に外地・南方や中国で慰問などでいた歌手は、そのまま捕虜として捕われていて、日本に戻れていない状態であった)


その様な状況下でとりあえず放送出来るように必死に国内から歌手達を集め、ようやく放送出来るようになったそうです。


歌だけでなく、楽器演奏のみの出演者の方もいたらしく、尺八やマリンバを打ち鳴らしていたそうです。


歌手としたら、宝塚や松竹のスターや、芸者歌手、後にみ〜かんの〜花が〜咲〜い〜ている〜童謡『みかんの花咲く丘』を歌うことになる、川田正子さん、当時唯一のヒット曲『リンゴの唄』並木路子さん、などでした。


司会者は喜劇俳優の、古川ロッパさん、ターキーこと水の江滝子さん(石原裕次郎さんなど後のスターを見出だしたすごい人)


好評も博し、無事に終了出来たのですが、問題が起きました。なんと!出演者達の帰りの車が全く手配出来ていなかったのです。


司会者2人にはどうにかポンコツタクシーが用意出来たものの、残りはどうしても手配出来ず、仕方なく、スタジオで出演者達が雑魚寝状態で、泊まったそうです。


(当時は、終戦後の混乱で今より大変治安が悪く、夜中の一人歩きは、すぐ強盗などに襲われる危険があった)


てんやわんやの紅白歌合戦だったのですね…


また裏話があり、当時のGHQが番組自体に難色を示したそうです。(占領下において、放送業界も検閲があった)


『紅白歌合戦とは何事か!また戦争を起こす気か!!』


合戦を『バトル』と翻訳したことが原因らしいです。


そして『紅白音楽試合』と名称変更して、放送許可になったそうです


今年は、紅白どちらが優勝するのでしょう…


最後まで読んで戴きまして、本当に有り難うございました。よいお年を…





Posted by 三井 浩司郎 at 18:42│Comments(0)
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